開設から10年になる慈恵病院(熊本市)の「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)。月日を重ねた分、預けられた子どもは大きくなっていく。
中には、新たな家庭で育てられている子どもたちがいる。
西日本で暮らす女性は、小学校低学年になる息子と初めて出会った日のことを懐かしく思い出す。
3人の子育てが一段落し、「もう一人育てられる」と思って、育ての親が戸籍上も親となる特別養子縁組を希望した。
乳児院で面会したのは、生後10カ月の頃。
「めちゃくちゃかわいい」。
赤ちゃんは輝いて見えた。
緊張した様子だったが、2時間ほど一緒にいると、ひざに乗るようになった。
抱っこし、ミルクを飲ませてあげた。
1歳になる前に家にやってきて、親子としての時間を紡いでいった。
小学生になった今、ドッジボールや「けいどろ」で遊び回り、ご飯をもりもり食べる。
「あなたを産んでくれたお母さんがいる」。
初めてそう話したのは、3歳の誕生日。
そこから、日常の中で生い立ちを伝えてきた。
「ゆりかご」に預けられたこともその一つ。
息子から聞いてくることもたくさんある。
「なんでお母さんは産んでくれなかったの?」
「(生みの母は)どこにいるの?」
「もともとの自分の名前は?」。
女性にも答えられない質問もある。
ある時、息子はこんなことを言ってきた。
「おれ、なんで捨てられたの? 要らなかったの? 要らなかったんでしょ?」
女性はこう返した。
「どうしても命を助けたい、あなたを大事にしたいと思ったのよ。お陰で家族になれてうれしい」。
ぎゅっと抱きしめると息子も力強く抱き返してくれた。
小さな体で一生懸命受け止め、考えているのだと思う。
小学校では、子どもたちが自身の生い立ちを発表する機会があるという。
どうすればよいかと思う。
息子はいずれ、生みの母に会いたくなるかもしれないし、思春期に入って自分のルーツに悩むかもしれない。
母親として、一つ一つ、息子が納得できるよう、一緒に向き合っていくつもりだ。
参照元:ヤフーニュース
URL: https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170507-00000025-asahi-soci
2017/05/07 13:50
2017/05/07 17:54
そしてその同情は子供の時だけに限定している。
大人になったら誰も守ってくれない。
何故なら「大人は可哀想に見えない」からだ。
同情する人間は「ただの偽善の自己満足」でしかないと言う事。
弱者を守って自分が気持ち善がっているだけ。
障がい者もそうだが、「それが普通である」…
そういう思考で接しなければ偏見は無くならない。
ハンデはあくまで国の政策として補えば良い事。
同情心が彼らを追い詰めていることを理解するべき。
2017/05/07 18:33
2017/05/07 19:17
人の為と書いて「偽」になるしね。
なんだか考えさせらるね。
でも偽善でもいいじゃない。
それが人の生きる理由となっている。
人から必要とされたい。
人から感謝されたい。
人の為にやっている事は実は、自分の為にしているということ。
2017/05/07 20:32
月並みな言葉しか出ないが、感動しました。
2017/05/07 20:41
2017/05/07 20:47
それを受け入れる子も。
2017/05/07 13:50
2017/05/07 17:50
子供はそんな家庭にあたったら人生終わりやわな。
2017/05/07 18:01
2017/05/07 20:06
でもね、自分(私にね。)にできないことを実践して、より多くの笑顔を目指している方への賞賛は捧げたい。
2017/05/07 20:18
2017/05/07 13:50
2017/05/07 13:53
2017/05/07 14:06
生まれながらの個性や性格ってのがあるはずで、子供が思うように素直に育ってくれない事もしばしばあるはず。
グレたり。
それでも自分の子として愛しく育て上げる里親ってすごい。
2017/05/07 20:12
ほんの少しだけでも救われた気がする。
2017/05/07 20:28
実際、反抗期がきて、手に負えなくなると、施設に預ける里親さん多いです。
2017/05/07 21:00
2017/05/07 14:08
打ち明けるのは何歳がいいかとかはもちろんわからないけど。
2017/05/07 17:08
真実を伝えるのはもう少し大人になってからでも良かったのではと、、。
赤の他人が口を挟む事じゃないですが。
2017/05/07 17:59
当たり前に受け入れられるので…
2017/05/07 18:05
2017/05/07 18:27
非常に愛されていると感じている子は「自分は何者か」よりも「自分は何になりたいか」を考えて生きます。
一方孤独を感じる子どもは、愛されたいがゆえに「自分は何者か」と答えのない答えを探します。
幼いときは思考が自分本位ですから複雑な想いには至りません。
今愛されているのであれば、その自分をありのまま受け入れて何者になりたいのかを模索する人生を歩むことでしょう。
記事にあるお子さんは非常に良い親に恵まれましたね^^
2017/05/07 20:22
でも3歳は早すぎるかと。
2017/05/07 14:33
命を助けたかった!
ホントだよ。
2017/05/07 14:36
捨てたのではなく、どうしてもその子を助けたかったのですね。
2017/05/07 16:56
2017/05/07 17:08
何て力強くて優しいんだろう。
自分だったら上辺の言葉になるか答えられずに詰まってしまう。
「どうしても命を助けたかった」
そんな風に考えることが出来るんだね。。。